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エリー郡()は、アメリカ合衆国ニューヨーク州の西部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は919,040人であり、2000年の950,265人から3.3%減少した〔Quickfacts.census.gov - Erie County - accessed 2011-12-06.〕。郡庁所在地はバッファロー市(人口261,310人〔Quickfacts.census.gov - Buffalo, New York - accessed 2011-12-06.〕)であり、同郡で人口最大の都市でもある。郡名はエリー湖から採られており、「エリー」は1654年以前にエリー湖の南と東に住んでいたエリー族インディアンから採られていた。 エリー郡はバッファロー・ナイアガラフォールズ大都市圏に属している。郡南部はサウスタウンズと呼ばれている。エリー湖の対岸はカナダのオンタリオ州である。 == 歴史 == 1683年にニューヨーク植民地で郡が作られたとき〔 New York County Formation Maps , accessed 7 December 2008.〕、現在のエリー郡はインディアンの領土であり、ニューヨーク植民地に属していなかった。ホランド土地会社がインディアンの領有権主張を消滅させ、現在のニューヨーク州西部8郡の権利を取得し、その測量を行い、町を造り、区画を販売した後の1800年頃、ヨーロッパ人による開拓が始まった。この頃、州西部は全てオンタリオ郡に含められていた。1802年、その中からジェネシー郡が作られた。1808年、ジェネシー郡からナイアガラ郡が分離した。1821年、ナイアガラ郡からエリー郡が作られ、領域はトナワンダ・クリークからカタラウガス・クリークまでの全ての土地に及んでいた〔The Burned-Over District: Evolution of County Boundaries. Oliver Cowdery Home Page , accessed 7 December 2008.〕。 郡内で造られた最初期の町はクラレンスとウィリンクだった。クラレンスは郡北部であり、ウィリンクは南部だった。クラレンスは現在も残っているが、ウィリンクは直ぐに再分割されて幾つかの町に変わった。1821年にエリー郡が設立されたときの町は、アマースト、オーロラ、ボストン、クラレンス、コリンズ、コンコード、イーデン、エバンス、ハンバーグ、ホランド、サーディニア、ウェールズがあった。 郡内にはアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている資産が多い。 1861年、ランカスター町の中にある小集落タウンラインが住民投票を行い、賛成85票、反対40票でアメリカ合衆国から脱退し、アメリカ連合国への加入を決めた。南軍には5人の兵士を送った。アメリカ合衆国に正式に戻ったのは1946年1月になってからだった。タウンラインの消防署は、アメリカ連合国への繋がり故に「反乱の最後の者」というスローガンを掲げている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エリー郡 (ニューヨーク州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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